いつも心に余裕を持って。胸を張って歩いていこう

もっと時間に余裕を持って行動できないものか・・

私の娘は、友達と待ち合わせしてても時間ギリギリまで家でパンツ一丁でテレビを観ていて、そして時間ギリになって焦って着替えて、走って出て行くなんてことがザラにあります。

だから言ったでしょ?といつも心で思いつつ、走り去る娘の背中を見送っています、毎日。

 

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大人は滅多に走らないもの

ごく一般的な大人の話ですが、大人は滅多に走りません。

たまに、街中で必死になって走っている大人を見るとなぜか笑えるし、みっともない感じがします。

マラソンランナーやスポーツ選手なら真剣に走っている姿は応援したくなるし、ある意味美しいと感じますが、なぜか普通のおっさんが必死に街中を走っているとかっこ悪いし、そんなおっさんを見かけると滑稽なネガティブ感情が芽生えます。

 

同じ「走る行為」ですが、この違いは何なのでしょう。

マラソンランナーの場合、真剣に走るのは当たり前ですから走る行為に違和感は感じませんね。走る意味がありますから。でも、普通のおっさんが街中で真剣に走っていたら普通ではないから、どうしても違和感が残ります。心がウキウキして、つい走し出してしまったなんて訳はそうそうないし、恐らく分単位で行動している人でもないでしょうから、大抵の大人が焦って街中を走るってことは

「何かやらかしたな・・」と周りは思うのです。

 

例えば、大事な書類を忘れて上司に怒られて焦って走っているダメな人、とか、何か急に腹が痛くなって、近くのコンビニに入ったけどトイレ故障中で、焦って違うトイレを探している超ツイてない人とか?

走っている人のちょっと焦り気味の真剣な顔とその姿を見ている人が感じる、ある意味勝手なバックグラウンドストーリーが合間って、「普通の大人が走る=カッコ悪い」という図式が成り立ちます。

 

大人はいつから走らなくなるのか。

私も子供の頃はよく走っていました。子供は走るものだから、違和感はないし、特に問題ない。朝学校に行く時、走ってました。授業と授業と合間、体育館で遊ぶために廊下を走ってました。友達の家に遊びに行く時、走ってました。

なんか常に急いでいました。

普通の大人は、過去の経験則から結果を予測して、この場合は「走る必要がない」とか、「走らなくても間に合う」ように余裕を持って動くとか、思考をめぐらし、極力「走る=疲れる」行為をしないようにしているのでしょう。

そう考えると、子供は過去の経験値が少ないから未来予測が不十分ですし、計画立てて行動することが苦手なので、常に「今」しか見えない、だから子供はよく走るんだと思います。ある意味セルフマネジメントが不十分だから走る必要があるのだと思います。

子供はよく走るが、大人は滅多に走らない。

街中で走っているおっさんは、子供と一緒でセルフマネジメントが不十分な人ってことか。そのように見られるのは嫌なので、常に焦らずに余裕を持って胸を張って歩いていく、素敵なおっさんになりたいと思います。

ちなみにアメリカ人はもっと走らないらしい。

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