vol.5若き日のニュージーランド旅行記 「異文化交流に疲れる」

ニュージーランド滞在半年くらいを過ぎた。

この頃は仕事は順調で結構普通に暮らしていたが、当初懸念していた通り、普通に起きて仕事に行って、休みの日は友人と遊びに行く、日本と変わりない暮らしで、ごくごく普通に落ち着いてしまった。

 

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せっかくの海外生活これで良いのか?

変に落ち着いてしまって、海外生活初期に感じた高揚感、ドキドキ感は薄らぎ、全然チャレンジしていない自分に気づく。

英会話については、環境がそうさせるのだろう。英語しかない環境で、自然とヒアリングは鍛えられたようでテレビを見てても割と言っていることは理解できるようになったが、もともとそんなにお喋りな方ではないので、スピーキングについては、まだまだノーグッド。

英会話は中学英語で何とかなると言われているが、こう考えると私の英語力は中学生以下かと落ち込む。

職場の人やアントニオと話をしたり、アントニオの息子(小学生)と遊びながら英語を教えてもらうなどして、日々の暮らしの中でも結構話す機会はあったが、もっといろんな人と交流しないと会話のレベルアップはないだろう。

どうしたら良いものか?

アントニオに相談したら、「図書館に「日本語を教えるから英語を教えて」って書いた張り紙を貼りなさい」とアドバイスをくれた。

どこの誰かもわからない外国人にいきなり連絡してくるか?私ならしないな・・なんて多少疑心暗鬼になりつつも、彼のいう通りにやってみたら、結構すぐに中国系ニュージーランド人のグループから電話がきた。

 

彼らは香港やマレーシア、台湾とかがもともとの国籍。見た目は日本人のそれと大して変わりない。私と同年代の学生グループで、多少日本にも興味があったのかもしれないが、ほぼ面白半分でノリで連絡をくれた様子。

時代はちょうど香港が中国に返還された頃。裕福な香港人たちは共産主義への不安から、自分の資産を守るため返還前に結構たくさんの人が国外に移住したとか。その移住先の一つにニュージーランドもあって、その彼らは裕福な家庭で育ち、お金も時間もあって、暇つぶしに日本人の私と遊んでくれたのだろう。

会話の内容は、あれがどうとか、何して遊ぶとか、何が好きとか嫌いとか、本当他愛のない内容で日本人同士の会話と大差ない。同年代ということもあって、意外と仲良くなり、多いときで週3くらいは遊ぶようになり、そのうち彼らとシェアハウスに住むようになった。

 

彼らと遊んでいると、最初は数人でも、どんどん人が集まり次第に数十人になって、気づいたらいつもパーティー状態。

彼らの特徴なのかお国柄なのか、遊ぶときはとにかく仲間を集める。そもそもは、日本語を教えて英語を教えてもらうつもりで、少人数でじっくりとおしゃべりして、みたいな交流をイメージしていたが、結局はいつもお酒が入り騒いで遊んでって感じで、英語の勉強どころではない。

それなりに楽しく異文化交流を図る毎日であったが、アントニオの提案してくれた趣旨とはだいぶ違ってあんまり英語は身につかなかったし、毎日パーティだととにかく疲れるし、。

 

 

そんなある日のこと、

プルルルル・・プルルル・・・、「HELLO⤴︎」

たどたどしい「HELLO」の正体は、私の母であった。特に用事はなかったようだが息子のことを心配して勇気を出して国際電話で電話をくれたようだ。

毎日、外人ばかりの環境で過ごすことは、言葉を理解するためいつも集中してかなり気を張り詰めて過ごしていたのだろう、久しぶりに母の声を聞いて、すんなりと言葉が理解できるし、冗談も言えることがとても嬉しかったし、ホッとした。

 

異文化交流も良いが、あんまり慣れないことはするもんじゃない。

自分はそんなタイプではないってことがとてもよくわかった。

<ニュージーランド旅行記>

NZ1「記憶は少しずつ薄れていくけど、思い出はいつまで経っても色褪せない」

NZ2 「そうだ、家を探そう!」

NZ3 「お金が尽きた、海を見て黄昏る」

NZ4 「転んでもただでは起きない男」

NZ5 「異文化交流に疲れる」

NZ6 「料理の腕を上げる」

NZ7 「観光地を徘徊する」

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