幸せについて、大人になってわかってきたこと

モノを増やしても、その時の物欲を満たすだけで、決して本当の幸せは得られない、と漠然と思う今日この頃。

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物欲は中毒だ

若いころは、とにかく世間で流行っているファッションを身にまといたいし、たいして自分に似合ってない類のアクセサリーでも、とりあえず付けてみて結局は捨てるってことを繰り返したし、最新のガジェットが発表されたら心が躍りました。

魅力的なモノ、輝かしいモノ。物欲が止まらず、お金が足りなければ必至に働いて、また買い物してまた捨てて・・、キリがない。

買物はある意味中毒症状そのものです。モノを買うまでは最高にエキサイティングですが、買う行為に興奮するだけで、買った瞬間からもう次の物欲が始まります。本気で欲しかった物ならまだしも、大概のモノは世間で作られた「これが良い」という勝手な論調に流されてたいして必要もないのに世間に買わされたものも多いはず。

もう、本当欲望はキリがないですね。

相対と絶対

若いころは、常に相対的な思考に陥りがちになると思います。

相対とは?

そう‐たい〔サウ‐〕【相対】

[名](スル)
向かい合うこと。向き合っていること。また、対立すること。「難題に相対する」
他との関係の上に存在あるいは成立していること。

相対の反対語は絶対です。

ぜっ‐たい【絶対】

[名・形動]
他に比較するものや対立するものがないこと。また、そのさま。「絶対の真理」「絶対な(の)存在」「絶対君主」
他の何ものにも制約・制限されないこと。また、そのさま。「絶対な(の)権力」

他と比較して自分が今どういう状態なのかを測り、自分は幸せなんだ、とか不幸だと実感する。外的な要因に自分の幸福感をゆだねがちになります。

まあ、私もある程度大人です(40代なんだから大人になっていないとオカシイのですが)、ある程度経験を積んだ大人になると、その外的要因にはそれほど影響を受けることなく、他と比較するのではなく、自分自身の感覚で幸せを実感できるようにはなってくると思います。

自分というものが形成されていくのでしょうね。

日常の中の幸せを感じる

例えば、朝、目が覚めてカーテンを開けたら気持ち良い青空が広がり、窓を開けて新鮮な空気を吸いつつ、ちょっと良いコーヒーでも淹れて飲んで、みたいな、日常の中のちょっと贅沢な時間に、幸せを感じたりするのです。

新しい刺激を欲するというよりも、日常の中に隠れている、若いころには気付かないほんのささいな時間の中に、きちんと幸せはあるのです。

自分自身の中だけでもきちんと実現できる心地よい幸せ。大人になると、こんな日常を大切に思える境地に達するのでしょう。他と比較して、他より良い、悪いで自分の幸せを測るのではなく、自分自身がどうなのかってことが大事だってことを理解できるようになったってこと。

いい大人になると、モノを増やしても、その時の物欲を満たすだけで、決して本当の幸せは感じられないのです・・、なんて偉そうに言っていますが、つい先日発表されたiPad9.7インチ、今、ポチるかポチらないか葛藤しています、隙を見せるとすぐに物欲満載の物質至上主義に舞い戻るダメな私です。

まだまだ心は夢見る子供ですわ。

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