シンプルに生きていく

現代社会は、TVや雑誌、インターネットにSNS、日々いらないのにたくさんの情報が耳に入り、いつも何かに背中をせっ突かれているような、忙しない毎日を過ごしている。

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シンプルライフへの憧れ

隣の人が食べているカツ丼がなぜか無性に美味しく感じる”この感覚。ない物ねだりってことでしょう。別の日に、カツ丼を注文しても、やはり隣の人が食べているラーメンが食べたくなる。きちんと吟味し、今の自分にとってベストな注文をしたはずなのに、他人が食べているカツ丼に目移りしてしまうのは、ようは、モノに溢れた自宅を見て、ミニマリストに憧れたり、普段の生活のストレスから、旅や山に行きたくなるのと同じ感覚でしょう。

私は、3LDKのマンション暮らし。転居して数年も経つと、引っ越し当初のスッキリ感は何処へやら、あっという間にモノ・もの・物にあふれ、一つの部屋はモノ置き状態。片付けようにも収納スペースには限界があり、モノを右から左へ移動するばかりで、労力に比例することなく、全く片付きません。

子供の成長も相まってさらにモノは増え続け、気づけば収拾がつかない状態で、このままではゴミ屋敷まっしぐら。インターネットでいろいろ検索してみると「ミニマリスト」や「シンプリスト」などのワードがよく出てきます。

ミニマリスト

「とにかく無駄を削ぎ落とし合理主義を追求する生き方」

そんな感じでしょうか。身のまわりのモノを限りなく減らし、自分にとって必要最低限のもので生きる人たちのことです。

ミニマリスト道を追求している人たちの暮らしを、ブログで拝見すると「スッキリ」というコンセプトは良いのですが、モノを削ぎ落とすことに一生懸命で”やり過ぎ感”が否めません。ソファや家具がない、私服の制服化ならまだしも、テレビもなければ、冷蔵庫や洗濯機、しまいにはカーテンもない生活ってどうなのか?プライバシーはどうなるのか?

どこまでを無駄ととるかは人それぞれですが、とことんストイックにモノを排除していく「ミニマリスト」は、ちょっと私には難しいかな。

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シンプリスト

「モノの数に関係なく、暮らしの要素を簡単に単純化する」こと。

モノの数云々ではなく、とにかくシンプルにということか。シンプリストの生き方は、簡素で単純、分かりやすく、暮らしやすいことに重点を置くことで、モノを減らすことに価値を置くのではなく、自分のテンションを上げてくれて、統一感を持った、愛着が持てるアイテムを長~く持つことだそう。私はこちらの考えの方が好きです。

ただ、今の我が家のモノ問題を解決するには、まずはある程度「断捨離」する必要があるので、将来的にはシンプリストのコンセプトを基本としつつも、まずはミニマリストのストイックさで無駄を削ぎ落とす必要があります。

ちなみに「断捨離」とは、もともとヨガの「断行、捨行、離行」から生まれた言葉。

「断」は入ってくる要らないものを断つこと

「捨」は家にある要らないものを捨てること

「離」はものへの執着から離れること

を表しています。

あらためて「断捨離」という言葉はミニマリスト寄りの考えなんですかね。まずは一旦断捨離しますが、「シンプリスト寄りのミニマリスト」的な、ウルトラライトなシンプルライフを目指していきたいと思います。

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